次年度(2018年4月)から月に1度、長崎市市民活動センター「ランタナ」へ行くことになり、関係する皆さんとの顔合わせや打合わせをかねて3月12日(月)から3日間、長崎市内に滞在。
せっかくの機会にNPOや地域づくり、見聞広げられればと思い、市民活動、環境活動に関わる市や県の施設を巡り、環境系の大学生や社会人の仲間たちとも再会してきました。
以下、その様子をご紹介します。
とっても長いです(笑)
長崎市市民活動センター「ランタナ」
「ランタナ」は、長崎市の先見の明あるリーダーによって「市民力」の一つの柱に設けられた市民活動の拠点施設です。
次年度2018年4月から、長崎市直営から民間NPOの力を活用するべく指定管理へと移行。
指定を受けたNPOと縁があって、今後、私が月に1回ほど「ランタナ」へお伺いすることになりました。
毎月第4月曜の13時から17時を予定しており、次回の予定は、4月23日(月)です。
「ランタナ」はココ↓です
グラバー園
誰もが知る長崎の観光名所グラバー園へ。
放置自転車の再生と利活用事業に取り組む佐賀と長崎の大学生で同士できた7年ぶりくらい前のことです。
もちろんコスプレもあって若かったなぁと思い出します。
黄檗宗崇福寺
肥前小城にも伝わる黄檗宗。
黄檗宗のお寺が長崎に残っています。
中国様式で建てられたお寺としても日本最古と言われる崇福寺で異国情緒を堪能しました。
今では伽藍がなく原っぱとなった小城の星巌寺は、栄えていた時、このような雰囲気だったんでしょうか。
「崇福寺」はココ↓です
長崎県県民ボランティア活動支援センター
若手男性職員さんに施設やボランティアの取り組みについてとても親切に話していただきました。
佐賀と長崎、それからランタナで施設、運営面の違いや施設あるある話など、ざっくばらんにお話できて、背景を考察してもるとより興味深く面白かったです。
また先日、今年度3月末まで長崎県社会福祉協議会が指定管理運営され、4月から中間支援NPOが運営をされると知りました。
若手男性職員さん、4月から浦上にある本部へ移られるようですが、ぜひ佐賀にも遊びに来て欲しいです。
「県民ボランティア活動支援センター」はココ↓です
海ごみ、環境体験をテーマに産学官
長崎の海ごみ(漂着ゴミ)など環境活動で関わりある大学生、NPOの仲間たちと再会。
翌日に訪れたサステナプラザながさきのコアメンバーが集う「ポッポひろば」懇親会が開催されたタイミングとも重なり、2次会で合流して長崎市職員や環境NPOの方々と新たに知り合うことができました。
市職員の方には、7前ほど前に若かりし頃の私が長崎市長へ表敬訪問をしたことを覚えてらっしゃる方もいらっしゃり、とても嬉しかったです。
民間や行政、学生がそろって漂着ごみや環境学習を語らい、ある意味、産学官連携の場。
それにしても、長崎の皆さんはお酒が強い。
ちんちくりんじゃないよ「へんちくりん」
1~2時間に1本しかないバスに乗って郊外へ。
長崎市内からほど近いけども、急斜面を登り切った先にある環境系NPOの活動拠点は、喧噪を忘れるのどかな里山にありとても心地良いです。
山羊はメー太郎。太郎つながりです。
へんちくりんことNPO法人環境保全教育研究所は、裏山や近隣の竹林を活用して自然体験活動などの事業を実施。
整備された竹林、そうでないと竹林を見せていただいて、親しみながら竹を活用することの意義学びました。
「へんちくりん」はココ↓です
サステナプラザながさき
14日(水)午後、長崎大学生でながさき海援隊の伊藤くんについて来てもらい、長崎市温暖防止活動推進センターで長崎市内の環境NPOの登録があるサステナプラザながさきへ。
突然の訪問。
にもかかわらず、スタッフの方が機転を利かせてセンター長に電話で取りついでくださいました。
おかげさまでこれから長崎でお世話になる旨をお伝えできました。
「サステナプラザ」はココ↓です
サンセット・ハーバー
サステナプラザから伊藤くんと歩いていった海辺のレストラン。
くつろぎながら港を眺めていると、隣のテーブルにいたアメリカ人のKenさんとカメラで意気投合しました。
カメラやバイク、ザックの話で盛り上がり、一緒に港の写真を撮り比べながらとても楽しいサンセットタイムでした。
長崎見聞の終わりに
お昼から丸一日、相手をしてくれた長崎大学生の伊藤くんに長崎駅で見送ってもらい、3日間の気まぐれ長崎滞在を無事に終えました。
この3日間の充実、感謝感激です。
長崎のみなさん、どうぞよろしくお願いします。
ランタナへもぜひお越しくださいませ。
余談:ゆかりある長崎
長崎県内へは今年度(2017年度)とてもご縁があり、壱岐島だけで4度訪問しています。
全て博多経由だったので長崎に来ているというより、玄界灘に浮かぶ佐賀や福岡の島という感覚ではありました。
ちなみに私の本籍地は、長崎県内です。
ひいおじいさんが戦前、戦後を通して造船所で戦艦や船舶をつくっていました。
また、その頃の実家は長崎市内で自転車屋さんを営んでいたようです。