佐賀市市民活動プラザに設置していた白いハト風船は3月2日、たくさんのメッセージが彩るカラフルなハト風船となって遺族会の方々が待つ宮城県名取市閖上(ゆりあげ)へ旅立っていきました。
2011年3月11日に起こった東日本大震災とその津波は、たいへん多くの犠牲者と抱えきれない悲しみを生みました。
テレビでその速報を目にしていた学生の私には、流される映像がなんなのか受け入れられず、やるせなさと虚無感につつまれました。
被災状況が一通り情報として確認された年の瀬、どうしても画面の世界のことが気になって青春18きっぷを片手に宮城県気仙沼市へと足を運びます。
磯の匂い、静寂、行ってその場に立ち尽くしたことはいまでも忘れられません。
その場には震災以前まで何気なく当たり前の日常があったことを痛感したからです。
また同時に「その時」を私はどのように生きていきたいか、バイク事故を繰り返した経験からより強く思うようになりました。
そんなこんなが今の私を動かし続けています。
そして、宮城県人会さが代表の富田 万里さんが白いハト風船を持って市民活動プラザに来館された2月16日、正直、閖上についてそこで知った私は何かを感じ衝動に駆られ、市民活動プラザに設置させて頂くことにしました。
亡くなった子どもたちと同世代の大学生がメッセージを寄せてくれていた様子は、私の胸にもグッとくるものがありました。
設置することになってつながった遺族会代表の御子息は、今年2月23日に二十歳を迎えるはずだったそうです。
伝書バトのように、佐賀と閖上をつなぐハト風船。
私たちの想いをのせて、3.11の空へいざ飛び立たん。