11/29 島原半島にあった佐賀鍋島藩の飛び地「神代小路」

島原半島にあった佐賀藩の飛び地、神代小路(こうじろくうじ)。
私が子どもの頃、家族旅行で行った鹿児島県の知覧を彷彿とさせます。

親戚宅で一泊した翌日の11/29、前々から気になっていたので先祖の墓参り後に立ち寄り散策しました。
神代小路の中核をなす鍋島邸は、佐賀県内に現存する中には見たこともないような立派なたたずまい。
明治期の構築物多しといえど見ごたえが十分にありました。

神代小路

神代小路鍋島邸

 

歴史的経緯

元々戦国時代までは神代氏が収めていた土地でした。
しかし、戦国時代の沖田畷の戦い(島原半島)で龍造寺隆信(鍋島直茂も従軍)が島津・有馬連合に討たれ、龍造寺方の配下だった神代氏は善戦するも単独状態になってしまいます。
そこに付け入った島津方は、一計を案じて神代氏を滅亡させてしまいました。
その後、豊臣秀吉による九州平定を経て、功績あった佐賀藩藩祖の鍋島直茂が旧神代領を再獲得し、佐賀藩神代領として江戸幕末を迎えます。

 

余談

同じ雲仙市となった吾妻町の親戚の話ですが、この一帯の住民の言葉のなまりが周辺地域と異なっていることについて、歴史的経緯を知らなかったそうで不思議に感じていたようです。