物心ついた時から見ていたボタ山、現在は新緑の木々が生い茂る山。
もとからあった自然の山のように、還っていっているようです。
かつて日本海軍に上質の石炭を供給していた「志免鉱業所(志免炭鉱)」、糟屋郡の南部地域、特に志免町、須恵町、宇美町で石炭採掘がなされ、明治期から戦後まで産業の中核をなしていました。
昭和30年代のエネルギー革命により、表舞台から消えさっていくことになりますが、石炭産業の往年をしのぶ遺産はいまも残されています。
例えば、ボタ山は、石炭採掘時、使用できる石炭を取り除いた残差の砂れきのかすを積み上げできた山。
また、竪坑櫓は、地下深くから地上まで石炭を運搬するには欠かせないエレベーター機械室のようなもの。
とりわけ、志免炭鉱の竪坑櫓は、高さが53.6mもあり、こちらも郡南部の一帯の景観的シンボルとなっています。
小、中、高校と須恵町で育ち、ボタ山や竪坑櫓の移り変わりを眺めてきました。
子どもの頃に見たボタ山の山肌は、もっと茶褐色だったような気がします。
いつかあのてっぺんに登ってみたいとも思っていました。
私の父が幼い頃は、閉山したばかりで石や岩のみのボタ山の頂上に登って遊んでいたそうです。
所どころ自然発火でくすぶっていたようで、このご時世では考えられないような大冒険だったことでしょう。
ボタ山や櫓を取り囲む周辺の環境は、公園整備や宅地開発、商業施設造成とともに一変してしまいましたが、まちのシンボルとしてこれからもありつづけてほしいものです。